3大メーカー外と広がり

表記体系とは、ある文字体系に加えて、正書法、句読法や、字体、文字、語句の選択基準などの種々の言語的慣習をも含む文字使用の体系のことを指す。同じ文字体系を用いていても、異なる言語では表記体系に違いが見られることもある。現実には、文字体系と表記体系との区別は曖昧であり、両者はしばしば混用される。コンピュータによる文字情報処理の分野では、複数の言語を同時に扱う際に、文字体系や表記体系に範をとった概念が用いられる。用字系は、特定の言語のために用いるためのひとまとまりの文字や記号を指す。書記系は、ある用字系を用いて特定の言語を表記するための規則の集合を指す。文字体系に含まれる記号の最小単位を字母と呼ぶ。字母は文字と一致する場合もあるが、文字体系、言語、民族によっては、文字より小さい単位を字母とみなす場合もあるし、補助的な記号を字母に含めない場合もある。一方、学術的な用語では、ある文字記号を構成する部分のことを書記素と呼ぶ。表音文字では音声の音素、表語文字では意味の意義素あるいは形態素に対比される概念である。何を書記素とみなすかは、研究者によって異なることがある。

紙屋院の廃絶以後、和紙の生産は地方の生産地に舞台を移していくことになる。この頃には和紙の生産・流通を扱う業者による紙座が形成されて生産・流通を支配していった。紙座は本来は紙を生産して公家や寺社に納入することで奉仕する供御人・神人などの集団であったが、後に本所の保護を受けて一般の生産・流通にも関与するようになったのである。彼らは本所に商品や座役を納める代わりに営業や身分保障を受けた。代表的な紙座に元の紙屋院の職人達が蔵人所を本所として結成した宿紙上座と新規業者による宿紙下座から構成される宿紙上下座や奈良南市の紙座、六波羅蜜寺を本所とした紙漉座、美濃大矢田や近江小谷などの産紙の販売権を独占した近江枝村商人などが著名である。だが、この時代に入っても和紙が貴重品であったことは、近衛家の財務内容を記した目録である『雑事要録』から知ることが可能である。長享3年に八朔に用いるために引合紙5束を190疋、杉原紙8束を2貫100文で買ったことが記されている。ところが、同年春に近衛邸の浴室を新造したときの職人の日当が平均110文であった。つまり、杉原紙1束を買うのに職人2日半分の日当を必要としたのである。こうした事情が、上級公家であっても宿紙や紙背文書を用いた背景にあったと考えられている。戦国時代に入ると、国力増強と紙の自給のために紙の生産強化を図る戦国大名が出現した。甲斐の武田信玄が楮・三椏の生産を奨励した逸話は良く知られている。だが、こうした戦国大名の政策は紙座の方針と対立するようになり、織田信長・豊臣秀吉らが推し進めた楽市楽座によって紙座の特権は否定されるようになり、紙商人の御用商人化や生産業者に対する支配強化が進められることになった。

現在、唯一キャラクター展開しているものとして「オジサン」シリーズがある。一年中コートに身を包んだ、ダンディだがちょっとトボケた「オジサン」の、2匹の愛犬と共に送る生活カレンダーに味がある、という評価がある。牛革の素朴な一枚革にリフィルをセットしたトラベラーズノートがヒット商品となった。一般的な文具で使用。筆記体の「m」をロゴとして使用。

現在の洋紙は、主に木材を主原料に機械を使って製造する。日本では1873年に、欧米の機械を導入した初の洋紙工場が設立された。なお、木質紙が主流になる以前、洋紙の主原料は木綿のぼろや藁だった。紙の中で、主に包装用に使われる厚い紙を板紙という。経済産業省では1948年以来、紙・板紙・パルプの品種分類を所管しており、「生産動態統計分類」で紙を分類している。2002年以降の分類は次の通り。

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